脱 通勤ラッシュ を目指して

通勤ラッシュ

どうもこんにちは。肉球です。

今、外出中なので、スマホで記事を投稿してみます。

この記事は、あくまで自分自身の耳が痛い私見です。ご指摘がありましたら、コメントをいただけるとうれしいです。

この記事が何かの気付きになれば、幸いです。

はじめに

外出先でノートPCを忘れたことに気づいたため、スマホ投稿できそうな、日々悶々と抱えているネタを投稿します。

通勤ラッシュ は 痛勤ラッシュ

通勤ラッシュは、首都圏に住む、通勤、通学する皆さんの共通の悩みだと思います。私のイメージは、まさに現代の奴隷船です。

”#通勤ラッシュ”でツイート検索したら、的確な通勤ラッシュの説明を見つけました。

iMac のChromeはツイートの添付画像まで見れることを確認しましたが、Safariだと画像を見れないので、Safariをご利用の方はツイートのリンクをクリックしてみてください。

 

通勤の必要性を考える

今更ですが、なぜこんな大変な思いをして、毎日通勤しているのだろうと考えました。インターネットが普及したこのご時世で、私の仕事は、会社の席にいなければ、できないことなのでしょうか?

なぜ通勤しているのか

冒頭に記載したとおり、独断と偏見です。

高度成長期の社会モデルを未だに引きずっている

常々思うことは、半世紀以上前のこのワークスタイルは、いつまで続くのだろうか?ということです。

インターネットの登場により、「距離による情報格差」が縮み続けるこのご時世に、朝晩共に体力を消費して都心のオフィスへ向かう必要性があるのでしょうか?

オフィスで、同僚と顔を合わせることによる、コミュニケーションの高まりは否定しません。

ただ、「毎日」満員電車に揺られて通勤する労力と見合うかと言われると、少し疑問を感じます。

更に、私の職場は、コアタイム無しのフレックスタイム制なのに、暗黙の了解で、10時から18時まではオフィスにいなければなりません。

入社当初に、コアタイムがないのに、なぜ10時にオフィスにいる必要があるのか?と上長に質問をしたら、「みんな来ているからだ」という回答が帰ってきました。

オイオイ、なんのための社則ですかと。

日本人労働者は拒否しない

日本人は、長距離通勤を拒否しません。どんなに遠くに住んでいても、朝7時に来いと言えば、来ます。

これは、労働者自身が考える事を辞めてしまったように感じます。本来は、7時に来なくても、なんとかなるように業務調整することが仕事だと思うんです。

しかし、私の職場のライン長は、みんな何も考えずに、突っ走れというばかりです。

まとめ

私にとって、通勤ラッシュの否定は、形式ばかりにこだわった、古い日本式働き方の否定です。

通勤ラッシュを含め、働き方は、会社に頼らず、個人で見直す時期に来ていると思います。変革できない会社からは、距離を置き、自分がどのように生きたいかを本気で考えます。

私は、肥大化して身動きの取れない会社や、デフレを放置して財界の言いなりになっている政権の主導する、働き方改革に期待を持てないです。

もし、私の心が折れたとき、インターネット上て、こんな志を宣言したんだ!と、初心を振り返れるよう、今、抱いている想いを記録します。

おまけ

やはり、PCでないと、アウトラインの整理をできないので、文章がグダグダ、執筆時間もかかってしまいました。

改めて、PCは偉大な道具であり、デバイスをスマホ1本に絞ることは難しいと痛感しました。

それでは、ごきげんよう。

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