魔法の世紀 は大人向けのドラえもん

魔法の世紀

どうもこんばんは。

肉球 (@nikuq299com) です。

 

だいぶ前に読了していた 魔法の世紀  (著:落合陽一) について、自身の備忘も兼ねて書籍レビューを記録します。

あらかじめ断っておくと、この投稿のタイトルは、「こんなにワクワクする本はなかなかない」という賛辞の意味を込めてつけたものですので、あしからず 。

この書籍を買った頃、ちょうど著者の落合陽一氏のメディア露出が多くなり、氏がどのような事を考えているのかを知りたくて、この書籍を購入しました。

 

はじめに

ポイント1

本書を手にとったきっかけは、著者の考えがわからなかったから (泣)

以下は、Amazonサイトから引用したこの本の説明文です。

〈映像の世紀〉から〈魔法の世紀〉へ――。

第二次世界大戦が促したコンピュータの発明から70年あまり。人々が画面の中の現実を共有することで繋がる「映像の世紀」は終わりを告げ、環境に溶け込んだメディアが偏在する「魔法の世紀」が訪れる。

28才にして国際的な注目を集める研究者でありメディアアーティストでもある落合陽一が、今現在、この世界で起こりつつある決定的な変化の本質を、テクノロジーとアートの両面から浮かび上がらせる。

画面の外側の事物に干渉をはじめたコンピュータがもたらす「来るべき未来」の姿とは……?

 

著者の落合陽一氏に興味を持ったのは、前述したとおりメディア露出が多くなってからなので、いわゆるミーハーと言うやつです。

2018/4/26 〜 6/28に、表参道で氏の個展が開かれていたので、どのような思想を持っているのかを知りたくて見に行きました。

 

当時、氏の著書は10年後の未来図鑑しか読んだことがなく、どういう方なのかを理解せずに個展へ行ったため、何も分からずに個展を出た事は記憶に新しいです。

その後すぐにこの本を読んでみて、氏の見識の深さと、見えているようで見えていなかったコンピュータサイエンスの歴史が繋がっていることを理解することができました。

 

魔法の世紀 の書評

ポイント2

圧倒的な知識量に裏付けられたコンピュータ・サイエンスの歴史と氏の思想に脱帽!

本書は現代の魔法使いと言われる落合陽一氏が、どのようなバックグラウンドを持って、どのようなことを考えて、どこに向かっているのかを書いています。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、メディアートではなく、氏がメディアアート作品を手がける上でのバックグラウンドの広さと、メディアアートが現在に至るまでの歴史でした。

氏の伝えたい事とは若干方向がずれているかもしれませんが、私はこのような観点で本書を楽しく読めました。

 

おすすめする読者層

「コンピュータによる世界の変化」に興味がある人は、ぜひ手に取ってほしい内容です。

計算機に関する用語が多いですが、コンピュータサイエンスを専攻していた方は、比較的容易に読み進められると思います。

コンピュータサイエンスを専攻していなかった方でも、引用やGoogleを使えば読むことはできると思います。

古典文学のように言い回しが難しい書籍だと、そもそも内容を理解できずに挫折することってありますが、本書は読むことが辛くなるような文章ではありませんので、なんとかなると思います (あくまで個人的な見解です)。

 

ネタバレしない程度の感想

以降、本を読んで興味深かったところを摘みながら感想を書きます。

 

映像の世紀から魔法の世紀へ

19世紀末に人類が「映像」を手に入れてから、20世紀までは「映像」が人間同士のコミュニケーションに大きな役割を果たしてきたが、21世紀は「魔法の世紀」が訪れると氏は説いています。

「魔法の世紀」はコンピュータの登場による人間同士が共感する手段の変化であり、これまで映像と人は一対一という構成だったが、ツイッターを始めとするソーシャル・ネットワークは、誰もが発信者となることができ、N対Nどいう、これまでと異なるネットワークで人々を繋いでいます。

このN対Nというネットワークの最終形態が「魔法の世紀」であり、現在はスマホやインターネットというテクノロジーのブラックボックスを介して行っていることは、高度な技術によって、いずれ人々がその存在を意識しないほど我々の生活に浸透するのだと。

確かに最近は、VR (仮想現実:Virtual Reality)AR (拡張現実:Augmented Reality) など、これまでに実用化されていなかった新しいユーザインターフェース技術が次々と市場に登場しています。

この内容を読んでいる時に、やっとドラえもんで描いていた21世紀の未来がやってくるのかも!と年甲斐もなく心が踊りました  (笑)

 

実装が思想に追いついてきた

これまでの計算機は、テクノロジーが思想に追いつかない時代が長く続いていたといいます。

本書に寄って、計算機がどのような進化を遂げるのかという議論は、1965年には、アイバン・サザランド によって、すでに提唱されていた事を聞いた時は驚きを隠せませんでした。

そして、サザランドの弟子ともいえる錚々たる顔ぶれの人たちが、サザランドが巻いた種を育み、現在のサイエンス・メディアを牽引してきたことも、サザランドの考えが誤っていなかったことを裏付けていると思います (表1参照)。

 

人物名会社備考
ジェームズ・クラークNetscapeインターネットブラウザのさきがけ。
アラン・ケイゼロックス、他パーソナルコンピュータの父。オブジェクト指向プログラミング、ユーザインターフェース設計で功績を残す。
ジョン・ワーノックAdobe印刷用フォントのPostscriptをはじめ、PDF、Photoshop、Illustratorなどのソフトは、印刷業界の実質標準となっている。
エド・キャットムルPixarトイストーリーやモンスターズインクなどのCGアニメーション映画のさきがけ。

表1. サザランドが巻いた種を育んだ4人

 

ここでの登場人物は個人単位だと有名人ばかりなので聞いたことがある人ばかりでしたが、このような繋がりがあるとは知りませんでした、氏のバックグラウンドの広さには脱帽します。

 

実装が完全に思想に完全に追いつくのはこれから

メディアアートの原点は、人間と計算機の融合と氏は説きます。

ユビキタス・コンピューティングは、スマートフォンの登場により、「いつでもどこでもコンピュータにアクセスできる」になり、実現しました。

ただ、現状のデバイスでは、まだデバイスという枠から抜け出せず、その存在を意識しなくなるほどの位置づけにはなっていません。

しかし、こういった問題も、次世代ネットワークの5Gが「ダウンロードと言う概念をなくす」と言われているように、日々の技術の進歩で着実に我々の生活へ溶け込んでいくのでしょう。

 

プラットフォーム共有圧

このテーマは考えさせられる内容でした。

人々はプラットフォームの中に生きており、ここでいうプラットフォームは、実生活だと都市やショッピングモール、インターネットの世界だとGoogleやAmazonを指します。

これらのプラットフォームは、私達の生活を劇的に便利にしてくれましたが、同時にあらゆるものを汎化してしまい、人々はプラットフォームで汎化された中で生きることを強いられています。

それが意味することは、クリエイターはプラットフォームが用意した舞台以外で活躍できなくなるということです。

普段、便利だと思って使っているGoogleやAmazonなどのプラットフォームですが、私達の生活は知らぬ間にこれらの大企業に支配されているという事に気付かされた内容でした。

 

まとめ

まとめ

ドラえもんで描かれていた21世紀を創造してしまう、ワクワクが止まらない1冊です!

 

私は大学でコンピュータ・サイエンスを専攻していたのですが、氏のような目線で計算機と向き合ったことはなかったので、非常に興味深く、刺激的な内容でした。

この本を通して、今起きている事象の本質を知るには、その歴史を追いかけること、そして、歴史で起きた事の繋がりを見つけて思いを馳せることの面白さを体験できました。

 

また、氏が手がけたメディアアート作品も本書の中でどういう背景から作成されたものであるのか説明されています。

私のように、個展の作品について理解が追いつかなかった方は、この本を読むと、作品の背景を知ることができ、作品を通して氏が伝えたかったことを理解できると思います。

 

もし、本書に興味を持たれた方はぜひ手にとって読んでいただきたいです。

 

 

それでは。ごきげんよう。

 

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